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瞑想法を選ぶ

まず最初に、あなたの興味をそそるものを見つけなさい。 瞑想は強いられた努力であるべきではない。 もし瞑想が強いられたら、それは初めから運命づけられてしまう。 強いられたことは、けっしてあなたを自然にしない。 無用な葛藤をつくりだす必要はない、このことを理解すべきだ。 なぜなら、あなたが、心(マインド)に興味をそそる対象を与えるとしたら、 心(マインド)には瞑想する自然な能力がそなわっているからだ。

いつでも憶えておきなさい。 あなたが楽しんでいるものなら、何であれあなたのなかに深くにはいってゆける、 それだけが深くはいってゆける。 それを楽しんでいるということは、それが適しているということだ。 そのリズムが合っているので、あなたとその方法とのあいだには微妙なハーモニーがある。
ある方法を楽しんでいるときに、そこで貪欲になってはいけない。 できるかぎりその方法のなかにはいって行きなさい。 1日に1度、できれば2度それをやるといい。 多くやればやるほど、いっそう楽しむだろう。 その喜びが消えてしまってはじめて、その方法をやめること。 そのときには、その方法の働きは終わっている。 ほかの方法を探すといい。 どんな方法も、あなたを最後の地点までは連れては行けない。

瞑想の旅では、幾度も汽車を乗りかえなくてはならない。 一定の方法が、あなたを一定の状態へと導く。 そこを超えると、もはやそれは役に立たず使い果たされている。 だから、二つのことを憶えておかなければならない。 ある方法を楽しんでいるときは、できるかぎり深くそれにはいり込むことだ。 が、けっしてそれに溺れてはならない。 ある日、それもまた落とさなければならないからだ。 あまりにもそれに溺れるようになったら、 そのときには麻薬(ドラッグ)のようなものになり、離れられなくなる。 あなたはもはや楽しみはしない。 それはあなたに何も与えてはいない、習慣になってしまったのだ。 それでも続けることはできるが、堂々めぐりすることになり、 その方法が導いていくことはできない。

そこで"喜び"を基準にするがいい。 もし喜びがあるならつづけなさい。 喜びの最後のひとしずくに至るまでつづけなさい。 それは完全に絞り尽くされなくてはならず、 あとにジュースが残されるべきではない、ほんの一滴でさえもね。 それを落せるようになったら、 ふたたび喜びをもたらす、他の方法を選びなさい。 幾度でも変えなくてはならない。 方法はさまざまな人々に一様ではなく、 一つの方法が瞑想の旅の全体に役立つことはきわめて稀だ。

たくさんの瞑想法を行う必要はない、というのも、 あなたは混乱したことや矛盾したことを行うこともありうるからだ。 そうなったら苦痛が生じる。 そこで二つの瞑想法を選び、それらをやり通しなさい。 本当のところ、わたしは一つだけを選ぶことを勧める。 それが一番いい、あなたに適した一つを幾度もくり返すのがいい。 そうしたら、ますますそれは深まっていく。
たとえば、あなたが多くの方法を試みるとしよう。 ある日にはあるものを、別の日には別のものをというようにね。 その上、あなたは自分勝手なものまで創作する。 そうやって多くの混乱をつくりだしかねない。 タントラの本には、112もの瞑想法がある。 これでは気が狂いかねない、すでに気が狂っているのにだ!

瞑想は、戯れではない。 ときには、危険でもありうる。 あなたは微妙な、とても微妙な心(マインド)のメカニズムを相手にしている。 ときには、自分がしているとは気づかずにいるささいなことが危険になりうる。 だから、けっして創作を試みてはならない。 また、自己流のごたまぜ瞑想法をつくってはならない。 二つを選び、2~3週間やってみるといい。