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OSHO ノーマインド・メディテーション

"「ジベリッシュ」という言葉は、スーフィーの神秘家ジャバールからきている。ジャバールはまったく系統的な言語を話さず、ただ無意味な音を発しただけだった。それでも何千人もの弟子たちがいたのは、彼がこのような明確な主張を持っていたからだ――「マインドはジベリッシュ以外の何ものでもない。それを脇に置きなさい。そうすれば、自分の存在、自分の本性を味わうだろう」。
ジベリッシュを使って意識的に狂いなさい。完全に気づきながら狂いなさい。そうすれば、あなたはサイクロンの中心となる。意味や理由などまったく意に介せず、何であろうとやって来るにまかせるがいい。マインドのあらゆるがらくたを放り出して、ブッダが生まれる空間(スペース)をつくり出しなさい。"
――Osho(※2)

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ジベリッシュはダイナミック瞑想と同様、浄化作用の高い技法です。まず、7日間やってみれば、その効果を体験するのに十分でしょう。
※当瞑想会では「ジベリッシュ瞑想」として、第1、第2ステージを30分ずつ行います。

◆第1ステージ ジベリッシュ、意識的な狂気

立つか、座り、目を閉じて、意味のない音声――ジベリッシュ――を出しはじめます。どんな音を発しても自由ですが、自分の知っている言語を話したり、言葉を使ったりしてはいけません。自分のなかで表現される必要のあるものは、何もかも表現させていきます。あらゆるものを投げ出して、徹底的に狂います。意識的に狂いましょう。 マインドは言葉を使って考えます。ジベリッシュは、このたえまない言語化というパターンを打ち砕くのにもってこいです。あなたの思考を抑えず、このジベリッシュのなかに次々と放出します。

歌う、泣く、叫ぶ、悲鳴を上げる、口の中でもぐもぐ言う、しゃべりまくる――あらゆることが許されます。ジャンプする、横たわる、ゆっくり歩く、坐る、蹴る――体の望むがままにさせます。ただ、虚ろな空白が生じないようにしましょう。 もしジベリッシュができなければ、ただ「ラ、ラ、ラ、ラ……」と言います 。いずれにしても、黙っていないように注意しましょう。

他の人たちと一緒にこの瞑想をする場合は、いかなる意味においても彼らとつながりを持ったり、妨害となったりしないようにします。ただ自分に起こっていることとともにあって、他人のしていることに煩わされてはいけません。

◆第2ステージ 観照

ジベリッシュが終ったら、完全に静止し、沈黙し、くつろいで坐ります、エネルギーを内側に集め、思考をどんどん遠のかせ、自己の中心にある「深い沈黙と平安」のなかに自分自身が沈み込んでゆくにまかせます。床に坐っても、椅子に坐ってもかまいません。頭と背中をまっすぐに伸ばし、体をくつろがせ、目を閉じて、自然な呼吸をします。

気づきなさい。全面的にこの瞬間のなかに在りなさい。「丘の上のものみ」となって、通過するものは何であれ目撃します。思考は未来へ向かうか、過去に戻ろうとします。はるかに距離を置いて、ただ見守りましょう。どんな判断を下してもいけないし、それにつかまってもいけません。ひたすら現在にとどまり、見守ることです。これは「見守る」というプロセスであり、それが瞑想なのです。何を見守っているかは問題ではありません。思考、感情、肉体感覚、判断――何がやってこようと、それを自分とは思い込まず、巻き込まれないように気をつけましょう。

◆第3ステージ レット・ゴー

観照の後には、何も制御せず、体がそのまま後ろに倒れるままにします。横たわりながらも観照をつづけ、自分が体でも心(マインド)でもないこと、自分はその両者とは別な存在であることに気づくようにします。内側へどんどん深く進んでゆけば、ついには自己の中心(センター)にたどり着くことでしょう。(※2)