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OSHO デヴァヴァニ・メディテーション

“当時、それはグロッソラリアと呼ばれていた。アメリカのいくつかの教会では、今でもそれを用いている。"舌でする話し"と呼ばれるものだ。それはすばらしい方法で、無意識の中へと浸透する、最も深いもののひとつだ。 それは、熱狂的なものにはしないこと。深い深い、安らぎのエネルギー、滋養を与えるもの、唱歌であらしめなさい。楽しみ、揺れるがいい。もし踊りたい感じがしたら、踊るがいい。が、すべてはとても優雅であるべきだ。 憶えておかなくてはならないこと。それは、浄化発散的(カタルシス)になってはならないことだ。"
――Osho

devavani

デヴァヴァニとは、瞑想する人を通して語る"神の声"のことです。その人は、ひとつの空っぽの器、ひとつの通信路になります。
この瞑想は、舌によるラティハンです。意識的な心をきわめて深くくつろがせるため、夜、眠りにつく直前に行うと、深い眠りに入ることを約束します※。
四つのステージからなり、各々15分です。 目はずっと閉じたままにしましょう。
(※引用ママ)

◆第1ステージ 15分

静かに坐ります。 できれば、おだやかな音楽を流しておくといいでしょう。

◆第2ステージ 15分

意味のない音声を出しはじめます。 たとえば「ラァ…ラァ…ラァ…」というようなものです。
そして、耳慣れない言葉めいた音声が起こってくるまでつづけます。それらの音声は、幼児期、言葉を憶える以前に使われていた頭脳の、今ではなじみが薄い部分から出てこなくてはなりません。 おだやかな会話のような調子を保ちましょう。
泣いたり、叫んだり、笑ったり、悲鳴をあげたりしてはいけません。

◆第3ステージ 15分

話しつづけながら、立ち上がります。体がその音声と調和しながら、やわらかく動くのにまかせましょう。体がゆったりとくつろいでいれば、あなたの制御を超えたところで、微妙なエネルギーがラティハンをひき起こします。

◆第4ステージ 15分

横たわって、静かにじっとしています。

※デヴァヴァニ、すなわち「舌によるラティハン」は、「ジベリッシュ」とは区別されなければならない。ラティハンは発散、放出ではない。ジベリッシュは「ただそのマインドとその動きのすべてを放り出すこと」である。ラティハンは逆に「起こるがままにまかせること」「自分が神のエネルギーの媒介になること」である。ジベリッシュは為すこと、ラティハンはまかせることである。(※2)